最近気になってきていること。
内田樹が本で書いていたことより。。
この人は、自分が 「なんとなーく」 感じてたり、気になっていることを、
結晶化させてクリアに書いてくれる。ありがたいことだ。
少なくとも自分にとってはそう。
そういえば、村上春樹も、「多数の読者に既視感を生じさせることができる」 ところがスゴイ、
みたいなことを読んだ気がする。
はい、内田樹だった。
『文化資本の偏在』について
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「東大生の一方には、幼少時から豊かな文化資本を享受してきた階層の子どもたちがいる。芸術作品についての鑑識眼が備わっているとか、ニューヨークとパリにセカンドハウスがあるとか・・・(略)・・・一方に、ひたすら塾通いで受験勉強だけしてきて成績以外にはさしたる取り柄のない大多数の学生たちがいる。この二集団の間に歴然とした「文化的な壁」が構築されつつあり、それが彼らの間のコミュニケーションを阻害している・・・」
「・・・『文化資本の差』による『二極分解』である。
『文化資本』が作る境界線と、『年収』が作る境界線とでは、『壁』の高さも厚さも桁が違う。年収は本人の努力でいくらでも変わりうるければ、子ども頃から浴びてきた文化資本の差は、二十歳すぎてからは埋めることが絶望的に困難だからである。しかし、そのような『成人して以後はキャッチアップ不能の指標に基づく階層差』がいま生まれつつある・・・」
「『文化資本』には、『家庭』において獲得された趣味や教養やマナーと、『学校』において学習して獲得された知識、技能、感性の二種類がある。
家の書斎にあった万巻の書物を読破したとか、毎週家族で弦楽四重奏を楽しんだので絶対音感になってしまったとか、家にしょっちゅう外国から友人が来るので英語フランス語スワヒリ語などを幼児期から聞き覚えてしまったとか、・・・(略)・・・というのは前者である。
気がついたら『身についてしまっていた』という意味で、これは『身体化された文化資本』と呼ばれる・・・」
「・・・後天的な努力によっても文化資本は獲得される。
学歴、資格、人脈、信用のようなものがそれに当たる。・・・(略)・・・」
「例えば、自分の子どもを『生まれつきの文化貴族』にしようと必死になって英才教育を施そうとする人々はあらわに『ビンボくさい』。子どもをインターナショナル・スクールに通わせてバイリンガルに育て上げようとしたり、分刻みスケジュールでバレエや日舞やピアノや武道を習わせる親たちは、『文化資本を金で買う』という発想そのものが当の子どもたちの文化資本の身体化を妨害しているということに気づいていない。
そういうことをする親たちの目に、文化資本は新しい種類の『貨幣』として映っている。彼らは単に『古い貨幣』(金)で『新しい貨幣』(文化資本)を買おうとしているだけである・・・
・・・文化資本を手にして社会階層を上昇しようという動機づけそのものが、彼が触れるものすべてを『非文化的なもの』に変質させてしまう・・・『文化資本を獲得するために努力する』というみぶりそのものが、文化資本の偏在によって階層化された社会では、『文化的貴族』へのドアを閉じてしまうのである。
ひどい話だ。
『努力したら負け』というのが、このゲームのルールなのだから。
『努力しないで、はじめから勝っている人が「総取り」する』というのが文化資本主義社会の原理である」
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このあとも面白いんだけど、たぶん既にここまで読んだ人がいないだろうから、やめとく。
ちなみに、自分は、
『家庭』において獲得された趣味や教養やマナーである『身体化された文化資本』
とは「縁がない」方の階層である。
たまに勘違いされるのだけど、自分が育ってきた家庭、地域、環境、すべてが間違いなくそっちを指している。
そして、後天的に文化資本の一部(学歴とかね)を持ちつつあり、それを増やさないといけないのかなぁ、と思っている。
そこで、上の階層にあたる 『身体化された文化資本』 を持つ人を目の当たりにして、実際に埋められない壁を感じたり、
自分よりも文化資本が低い人を見て、『恥ずべき自画像』として見下す感情が生まれたりする。
さて、そのように、「自分には教養がない」 ということに気づいてしまった自分はどうすればいいのか?と。
どうすることもできない、というのが、上の話から導かれる気がするけど。
教養のある人に出くわし、
『あー、自分はこういうところで教養がないのかー』 と気づくことで、
『教養とは何か』 を知ってゆき、
知るが故に、それがないことで自分を蔑む、
という循環を続けるんでしょうね。
「そういうこと」にすら気づかなかった層から、
「そういうことに気づくけど、どうしようもない」中間層に来てしまった、ということですかね。
so what?
特にないけど、
社会人になる頃からぼんやりと感じていた
『育ち』 とか 『階層』 に対する説明できない「違和感」を、
『自分はそういうところにいるのか!』
と気づかせてくれた内田センセイはスゴイ、ということです。
そうね、あとは、こういう力、
『世の中にたくさんの人がぼんやりと思っていたりすること』 を洞察し、
『そうか!』 と分かる形にして発信する力、
こういうことが出来るのは、ほんとに素晴らしい能力で、
世の中の人に対してすさまじい価値を提供していると思う。
もっとこういう人の話が世間に広く行き渡ることが必要なのではないか、
と思う今日この頃。